思考(4)

これは実話に着想を得て作成された純文学学術作品です。

祈り

私には、台湾に住んでいる友人や知人はいない。義父母の仕事によって繋がりがある学生は知り合い程度で、町で会ってもお互いに気が付くことはないだろう。この国に来て以来続く不快感を拭う術はない。普段は出てこないこの悩みも、こと自動車運転免許の話題になるとうずき始める。

シャワーを浴びてベッドで涼みながら、一日が平和に終わることに無意識の喜びを感じ始める。健一はシャワーの後しかベッドには行かないことに決めている。家の中で最も長く過ごす場所は最も清潔であるべきだという安心感があってこそ、その場所にふさわしい。妻と自分以外が踏み入れることは断固として許さず、一度この場所に来たら自分の意思以外では何物にも干渉されたくない場所だ。この日はそれを死守できず、一日も残り1時間にして悪夢の一日になる。

義父はパソコンの画面を見ながら私が過ごす部屋に来て妻に明日健康診断に行くと伝えたらしい。私は免許を切り替えるだけなので、切り替え所の近所にある病院で予約なしで健康診断は受けることができる。事前に受ける必要はないのだが事前に行くと言い出した。良くわからないプランになったとしてもその細部を探るほどの人間関係と言語力もない。

翌日、妻から健康診断に行くために義父が待っていると言われた。私は朝の作業を終えてシャワーを浴びたばかりだった。行かなくても運転免許証切り替え時に近くの病院でできるということは何度も伝えていたが何故かかたくなに信じない。信じていても義父母にはそういった意見は言わず、義父母との会話や意見交換を徹底的に避ける。

仕方なしに義父の運転するバイクにまたがり健康診断に行くが、病院は混んでいる様子もないのに午前中の診察を30分早く切り上げるから午後に来てくれと言われ家に帰ることになった。行きたくないタイミングで病院に行き、何もできずに帰ることになるとはなんとも言えぬ。

昼食を食べ、午後診療の時間に行くとスムーズにメディカルチェックは終わる。無銭で診療を受ける人をなくすためか、台湾の病院は先払いが多い。決められた料金をまずは窓口で払い、順番を取ったり診療の札をもらう。台湾の運転免許証は自動車と二輪車は別々の免許証であるため、健康診断書も2つ必要である。義父はそれをもちろん知っているのだが、私が自動車の運転免許証も欲しいことは伝わっていなかったらしく、会計の時に一種類分の料金を払ってくれていた。途中で気が付いた私は自動車の運転免許証の分も必要だとつたない中国語で伝えるともう一度会計に行くように伝えられる。病院に来る手間と言い、会計に行く手間と言い、私は何かをするたびにこの国では二度手間になる。

その後、7枚もの証明写真が必要だと言われ、知り合いのお店に証明写真を撮りに行った。とてつもなく長く感じる事務的作業になぜ自分は放り込まれたのか。ひとえに言語力不足だろう。あらかじめ中国語が操れるならばすべて自分で自分のやりたいように物事を動かせるが、人の馬車に乗った時点で私にもう手綱はない。どこへ行こうが知ったことではないが、自分の責任であり自分の時間なのだ。

今の家は3階建てなので階段の移動が生活の中で外すことができない。引っ越しから数日、2階の片づけをしている妻を私が手伝っているとき、妻の作業を待ちつつ3階でも物を運び込み、何度か各階の往復があった。義母は何度も階段を行き来するとイライラするからまとめてやってという旨のことを言ったらしい。もちろん私は中国語がわからないので伝え聞くのみ。義母は私たちの片づけを一緒にやっているわけではないので、階段を往復しているという事実を切り取ってイライラすると言ってきたのだろう。かなり過激な発言だが、義母は機微をコントロールできない正直な人間なのだ。

数か月経ち、義母はイライラする自分をなくしたのか、今度は自分が何度も往復する人間になっているのだ。これに気が付いた時の衝撃は正直自分を困惑させる。洗濯機は3階にあるので洗濯物は3階に溜めている。シャワーの後、3階に洗濯物を持ってくるのだが何故かタオルはまだ持ってこない。一度2階に降りて、髪を乾かした後、髪を乾かしたタオルを3階に持ってくる。髪を乾かした後、すべて持ってくればすべて解決するはずだが、そうしないのだ。これは矛盾かと思ったが、そうではなく、過去の過激な発言も自分にとっては普通の気持ちであり、自分がイライラさせられても自分がやるとイライラしないという最も純粋な生理現象である。

この現象は人だけではない。人が作り出すもの、政治や国家などの概念。動物や植物の生存に関わる縄張り争いも自身は許すが他は許さない、といった自身の視点からだけでは皆目見当がつかない場所にある。

現実的な視点を持つと、なぜ衣服やタオルをまとめて持ってこないのか聞いてみても良いだろうが、私はそのような言語力を持ち合わせていない。妻に聞いてみるように言っても良いが、特にそこまでの興味もない。加えて、妻は義父母への質問や意見を徹底して避ける。この家族という社会でうまく生きるために獲得した妻の行動規範はその二つを避けることにあるのだろう。

害がなければ時間をかけて獲得した規範なのだから、私も同じく守るに越したことはない。家の一階には除湿器が2台ある。除湿器の頑張りによって溜まった水は雑菌が多く、現にそのタンクは緑の物質や茶色の汚れが付着して眼に見えて汚い。これほどまでに汚れた水は料理や洗い物をするシンクに流すべきではないと私は思っている。しかし、義父母は最も流してはいけない場所にわざわざ運び込み流すのだ。浴室にある除湿器のタンクは浴室で流せばよいのだが、わざわざリビングに運び込んで流す。私も妻もそれを見ていたので妻が注意するかと思いきや、行動規範の意見に該当するので注意はしない。衛生的な観念が全く違うのだが、その原因は根が深く、国籍か、年代か、教養か、教育か、どれをとっても観念が違う原因にすることにふさわしい。早く湿気の多い季節が通り過ぎることを祈る以外に私の問題解決方法はない。

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