思考(3)

これは実話に着想を得て作成された純文学学術作品です。

最も、食事のメニューについて悩む私は幸せなのだろう。4人で暮らしているが、誰が何を作るかということは決まっていない。妻はフルタイムの仕事。義母は仕事の準備など含めるとほぼすべての時間が丸付けや仕事に追われている。12時から13時は塾の授業はないので昼ご飯を作ることはできる。義父はなんやかんやで忙しかったり読書などで時間をつぶしている。私は朝の時間が終わった後、部屋が静かな場合は中国語の勉強をする。義母が部屋で授業をしているときはこちらの勉強に集中できないほどよくしゃべるので場所を変えてブログの作成やガーデニングをする。

そうなれば必然的に義父か私が昼食を作ることになるが、両人とも作られたものは何でも食べる特に意見がない人間同士なので自発的に料理することがない。基本的には全てのフラグメントシップを持っているのは義母であるため、料理するのは義母になる。義母が作らなくても、どの食材を使ってほしいか指定してくることがある。ありがたい反面、使い方や組み合わせが難しい食材も多々ある。

私は何でも食べると言ったが、実際には少々の御幣を含む。極端に辛いものは食べられない。同じものを週に一回のペースで食べられない。同じものを週に一回食べるということは台湾では避けられない。台湾の食文化は外食を前提に組み立てられている。家の周りの店は数年間同じであり代り映えせず、味はそれぞれのお店の味を守るので変化がない。また台湾の個人経営の飲食店は同じようなメニューのみの専門店ばかりなので選択肢は多くない。日本ではチェーン店の飲食店やコンビニで外食文化を作ることもできるが私は自炊することしか知らない。慣れない土地で慣れない外食文化に直面し、味の変化がないという壁に当たる。

自炊をすると食材とメニューに困り、外食をすると同じメニューなので困る。自分が好きなものを思いついたまま作ることはできない。妻は食べられないものが多く、気分によって好きなものと嫌いなもの、味が変わるので私が率先して作ると、一口も食べられないという状況が生まれる。

悩んでいる間に義母が昼食を作り出すが妻はこの料理を特別には美味しいと思っていないらしい。これは然るべき現実である。私以外の3人は菜食主義者であり、義母は野菜を中心にメニューを考え、茹でるか炒める、味は醬油ベースにならざるを得ず、同じ味問題にたどり着く。同じ味、同じ食感では一年もせずおいしさを感じなくなる。

食事の満足感とは、新しい部分がないと同じものを食べた時、前回の満足感を必ず下回る。これは回避できない。義母の料理がおいしくないのではなく、生活の本質的な部分に問題があり、この満足感は到底回復しえない。義弟はこれを何とか回復するためか、野菜が原料のハンバーグやクリームソースパスタを好んで食べる。同居していないので頻度は不明だが、食事の写真を送ってくるとき、帰省して料理する時は必ず一般的な台湾料理を作らない人物なのだ。

家主が菜食主義者であるため、肉の料理は事実上不可能な状況になっている。使う食器、料理器具、お皿を洗うスポンジも分けなければいけない。とどめは平然と肉を食べた体臭が臭いと言われる。食材として肉を買いに行っても良いかもしれないが、同じ冷蔵庫を使用してよいものか判断に困る。マイ冷蔵庫を準備するしかない。そうなると電子レンジで肉を温めると蒸気として肉が充満する。マイ電子レンジの出番だ。あとはマイ包丁、マイまな板、マイはさみ、マイ箸、枚挙にいとまがない。

作ってほしいものがあれば昼食を作るが、なければ基本的には待つことになる。私は昼食は12時、夕食は18時から19時に食べなければ体調が整わない虚弱な体質だ。荒治療のごとく台湾では13時に昼食、20時に夕食だ。さまざまな体内時計が自然の法則に反して突き動かされる。無職であれば、譲り合いではなく譲る以外に選択肢はない。時間の主張など言語道断である。私の心は私が消化するしかない。食べた栄養は他人のためには使うことができない。

昼食後は昼寝がしたい。しかし食後は既に14時近いことが多い。毎食後、私は率先して食器を洗っている。家族4人分なので洗いものの量は非常に多く、食洗器も乾燥機もないので無邪気に立ち向かうしかない。一通り終えると眠る時間かと思えば、13時過ぎてから昼寝をするとアルツハイマー型認知症になるリスクが高くなるという記事を読んで以来寝ることをやめた。12時に食事を開始すれば13時までに15分だけでも仮眠できるが、それすら叶えられない。わずかな願いも時間の前にはかなく散る。義父母は14時から15時半まで仮眠などの休憩をするのでアルツハイマー型認知症が心配だが、もはやその生活習慣は変えられない状況になっている。無論、他人の生活に口を出すつもりは毛頭ない。自分だけは仮眠ができないという地獄の縛りを自らに課している。

眠い目をこすりながら、食後から中国語の勉強をする。教科書は13章で構成され、230ページほど。挿絵はあまりなく、章の始まりのショートストーリーに絵がある。本は全巻で5冊。65章を理解し、使えるようになることが台湾生活の向上だけでなく、将来の生存につながると信じてやまない。まずは黙々とこの教科書を丸ごと暗記する。付属のCDの音声を聞きながら口ずさみ、ただひたすらに覚える。台湾での無職生活にもかかわらず、暗記以外に基本的にはガーデニングと家事とブログの作成しかない。映画を見る、綺麗な風景を見る、ショッピング、行きたいところに行く人生はいったん閉幕した。家族と生きる時間が開幕したに過ぎない。無色生活になったのは、将来、色を付ける余白を作っているのだ。

眠気がなくなり、勉強の集中力がなくなってくる頃、義母の英語塾のオンライン授業が始まる。基本的には義母が学生に説明していく形式だ。常に話しているが、横に居る妻は全く意に介さない様子で仕事をしている。虚弱かつ繊細な私は意に100パーセント介し3階に移動してパソコンに向かう。3階には机がなく、行き場を失ったソファーと揺れる椅子がある。座る場所は多いが長く座ると体が痛くなり、落ち着いてパソコンや勉強ができるスペースは一切ない。1階には机も椅子もあるが、冷蔵庫があり人が来やすく、出入りがあるとやはり集中できない。外が見えるので車やバイクの音も激しく、食べ物の誘惑もある。つまり、2階以外作業はできないが、2階でも作業はできないのである。

3階に家具を追加、レイアウトの変更は台湾の風習に由来する理由でできない。私は外国人であり、この国を侵略しに来たわけでも、家を乗っ取りに来たわけでもないので従うよりほかない。角を埋めるためのソファーに座ってパソコンを使うが高さが合わないので太ももにクッションを置いてその上にパソコンを置く。20分もせずにパソコンの熱や自分の熱で太ももだけでなく全身が温まり作業は中断される。揺れる椅子に移動して作業をしてもパソコンを置く場所がなく、渋々ひじ掛けに置くがやはり姿勢が悪いので15分と持たずして近くの台にパソコンを置いて立って作業する。足が痛くなってくるので、ソファーに行って、クッションの上にパソコンを置いて振出しに戻る。住んでいる家の3階は、血栓の対策には良いレイアウトなのかもしれない。

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